引退ブログ#5

いつもお世話になっております。
今年度主将を努めさせていただきました一木佑太です。

インカレが終わり2週間ほど経ちますが、引退後の日々は悠々自適に過ごせるものではなく、結果の出ない卒業研究に向けて日々研究室に籠っています(ブログ書けなかった言い訳)。
実験の合間にバルクヘッドマガジンのフォトギャラリーを見たりして、燃え尽きたはずのヨット熱が再燃していたりもします笑。

まずは、OB・OGの皆様、藤田監督、これまでご指導くださった先輩方、かわいい後輩たち、応援してくれた家族、そして4年間を共にしたどんぱ、本当にお世話になりました。

全ての方のおかげでかけがえのない4年間を過ごすことができました。
本当にありがとうございました。


さて、僕の引退ブログでは人生で最も充実したヨット部での4年間の思い出をかいつまんで綴ってみようかと思います。3年前のこととかも思い出してみると意外と覚えているもんです。


1年。北海道の4月を舐めていて薄手の上着しかなくて、凍えながら教養前で新歓の波に揉まれていました。濱西さんに勧誘していただきズブズブとヨット部の新歓に参加していくようになりました。試乗会にも参加してそこで入部宣言をしたのですが、この時はヨットという競技やこの部活の本気度なんて知らずに先輩たちの楽しそうな雰囲気に感化されて直感で入っちゃいました笑。この時は今と違って何十人もいる先輩に囲まれて合宿をしていました。

先輩方には本当に申し訳ないのですが、1年の頃はヨットにも全然乗れずに目標そっちのけでどんぱとふざけあったり、先輩に遊びや飯に連れてってもらうのが楽しくて仕方なかったです。この頃はどんぱも15人いて、ヨット抜きにしても色んな思い出がありました。入部直後、死ぬかと思った爆風の春季レース。昼寝してたら米しか炊けなかったエッセン。ベロベロに酔っ払ってめちゃくちゃだった七大戦のパツ芸披露。遠征で行ったジャグジー付きの広い風呂がある田窪の実家。大地震で水、電気、ガスが止まったサバイバル合宿。中央ローンでやった雪合戦。

3回ほどヨットにも乗らせてもらったけど、着艇して英雄さんに「楽しかった?」と聞かれて、すぐに返事ができなかったりとヨットに対してはほとんど熱なかったです…。ヨット部なのにね笑。


2年。実はスタボもポートも分からないまま春季遠征に行きました。ヘルムスになるのにヘルムス陸トレもほぼ初めてみたいな感じで。ただこの1ヶ月間でヨットにのめりこみ、僕のヨットはここから始まりました。春季遠征では1ヶ月の合宿も楽しかったのを覚えています。この春季遠征の宿では2年生10人くらいと3年生数人で一部屋にすし詰めにされてました笑。ゴミを散らかすどんぱとそれにキレて借家の鍵ごとゴミに出してしまった田邉。持病が発症する田窪。ワッチをこっそり抜けて行ったあじへい。でも何よりヨットが上手くなっていくのが楽しくて仕方なかったです。

祝津に帰ってからは29175に乗ってB海面で田窪/田邉と乗っていました。しかし、レースに出さしてもらえても先輩たちにはレグ1つ分置いて行かれたり負けてばっかで伸び悩んでもいました。2年の時期は4年間で一番ヨットに乗れた時期でもあったけど、ただヨットに乗っていただけで成長はどっかで止まっちゃってたなぁって思います。もったいない1年間でした。


3年。スナイプヘルムスでは年功的にヘルムスの序列が3番目になりました。この年からコロナ禍が始まります。2年生を終わって全然実力もなくて練習もできないしでもレギュラーになるんだとプレッシャーを感じたのか、この頃から自分で上手くなろうと知識や情報を集めるようになりました。下級生はぜひ冬の間に知識をつけtください。知識のあるなしで全然上達速度は変わると思います。祝津でのシーズンインは8月から。インカレ予選まで時間がなく、8月末にある全道選手権で今年のレギュラー配艇を決めることになってました。これが僕のヨット部人生において最悪のレースでした。結果から言うと2年目の新人ヘルムスの福原に負けました。トラブル着艇、ルールの知識不足、強風で帆走る筋力と体力が足りない。3年目として不甲斐なくて絶望でした。今思えば福原の体つくりと貪欲さには勝ててなかったかなって思います。経験値が物いうスポーツかもしれないけど結局努力した奴が最後に勝ちます(泣)。おかしな話かもしれませんがその後のレースや練習を通して、なんとか3番艇としてインカレに出さしていただくことになりました。福原と田窪には何も言葉が出なかったし、後輩にどんなふうに思われていたか分からないし、やっぱり不甲斐なさしか残りませんでした。コロナで遠征もいけず初めてのビッグフリートがインカレとなります。結果はほぼドベ近くで全国の壁を思い知りました。

3年といえば、艇庫閉めでも話をしたどんぱ崩壊の危機は多分一生忘れられない出来事になりました。この時どんぱは6人。4月春季遠征から帰ってきた頃に僕以外の5人とも部活を辞めたいって。僕は周りのどんぱほど他にやりたいことや今後も考えてもいなくて、部活を辞めるなんて考えてもいませんでした。何のために北大ヨット部にいるのか、北大ヨット部で何がしたいのか、誰のためのチームか、色んなことを無限に考えたし、初めてどんぱと本音で話をしたし、生まれて初めて自分がどういう人間なのかを見つめ直しました。大袈裟かもしれませんが人生のターニングポイントでした。コロナ禍の2〜3ヶ月、藤田監督やOB・OGさんに相談しながら、そんなことをしていて最後には全員引き止めることができました。

後輩のためにヒントを残しておくとすれば、人を繋ぎ止めるのはお金がどうとかヨットがしんどいとかじゃなく人であって、そこには相当な熱意と本心が必要だと思う。そんな熱意と本心を真剣にぶつければ、相手の心を動かせるかもしれないので遠慮なんかせずに我が儘に気持ちを押し付けてください。


4年。例年に比べてスタッフ、部員も少ないし、コロナ禍で希望というよりは不安しかありませんでした。コロナ禍も2年目、グレーをせめてガンガンやっていくつもりでしたが、結局ひよったまま。勝ちに向かってもっとやれることはあったし、気持ちが抜ける瞬間もあったりはして、今年1年振り返って運営は反省しかありません。インカレが終わった今、OB・OGさんからも今年1年頑張ったなって声をかけていただくこともありますがやっぱり結果が伴っていない以上後悔しか残っていないです。運営の反省はキリがないので思い出の話をします。思い出といえばやっぱり響とペアで乗れたことです。全道が一木/山本のデビュー戦で成績は1位。コロナもあってデビュー戦の次が団戦予選だったがこれも1位。そのままインカレ行って響のコースでシングルも取らせてもらいました。シングル帆走ってるときの緊張感とかフィニッシュした時の景色は忘れられないなぁ…。響は2年の頃あんまりヨットに乗れてなくてスキルが足りないこともあって、正直不安でしかなかったんですが1年通してすごい成長してくれました。本当にありがとう。来年はオーバーレイしないように笑。

最後に。自分は歴代の主将のようなリーダーシップやカリスマ性とかもなくて一人で抱え込んで勝手に潰れていたりもしたけど、どんぱの支えがあったからこそ、ついてきてくれる後輩がいたからこそ最後までやり抜くことができました。本当にありがとう。

これからはOBとして後輩たちの元気な姿を、新しい北大ヨット部を見届けたいと思います。

以上で引退ブログとさせていただきます。
北大ヨット部と出会えて幸せでした。
4年間ありがとうございました。

一木佑太
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